広報 淡路町 1月
平成八年十二月二十一日淡路町在住の津名高等学校三年生と父兄がポートビ
ル周辺・絵島の清掃ボランティアを行いました。 参加者の中には「朝早くて眠
いな−」とか「思っていたよりゴミが少ないのは、オフシーズンだからかな−」
や「やっばりきれいな町に住みたいよね!」と口々に感想をひ漏らしながら、そ
れでも約一時間たてばゴミ袋がいっばいになりました。 参加された皆さん、ご
苦労様でした。これからもきれいな町を目ざしましょう。

年末恒例のアソンブレ歌謡祭が十二月八日、午後七時から淡路アソンプレホー
ルで盛大に開催されました。 年一回の歌謡祭を楽しみに、大勢の人たちがつめ
かけ、出演者も生演秦をバックに本格的な衣装を身にまとい、熱唱しました。ア
ソンプレ歌謡祭は、四年前から歳末助け合いチャリティとして行われ、今年も二
五八、000円アソンプレ歌謡祭実行委員会から、歳末助け合い配分委員会に寄付
されました。
淡路島一市十町を一つの自治体にまとめようとする合併問題は、一市十町す べてが議会に諮った結果、洲本市・緑町が可決、西淡町・南淡町が否決、その他 の町は継続審議となりました。 この結果、一町でも否決されると、この問題は 終了するので合併協議会設置は白紙に戻ったことになります。 ただし、継続審 議の町においては、たとえ白紙になっても同案に対する結論を出さなければなり ません。
千石船時代の天気予報は個人が判断していた。現在のように化学的な天気予
報が出されるでなく、ラジオやテレビもない。岩屋の瀬戸の厳しさは、今も昔も
変りがない。おまけに船そのものは、大きさ、材質、操縦性などにおいて今の船
とは比較にならぬ程の造り様であった。 船乗り人は海上が生活の場で、そこで
働くために、天気を見るのは命がけ、真剣そのものであった。子供の時から親の
言う雲の走りや風、頬っぺたに当たる風のぬくみなどからでも天気を当てた。あ
る時小学校が運動会をする前日天気があやしいので、洲本測候所へ電話をしたと
ころ、「そちらは雨が降っていますか。みんなとよく相談して決めてください。
じゃこれで」 すぐ漁師の人の家へ走った。「やっぱり測候所より漁師の人の見
立てが当たった」と。 淡路島は東浦と西浦、南北に長いために、そこの天気を
当てるのは漁師が一番。・播州太郎は日より続き・播州太郎に和泉の小次郎・播
州さだちに米買いこむな、・夏の干潮にまぜがそう古老の口から雲や風の諺を聞
く。帆船の時代は好天気でも順風でないと千石船は動かない。岩屋は風待ちのた
めの船がよく立ち寄った。 その昔、神功皇后様が四国へ行かれる時、岩屋で風
待ちをなされた。どうしても凪がないため歌を奉納祈られた。「いざなぎやいざ
なみ渡る春の日に いかに石屋のかみならば神」、するとすぐ風波がおさまり船
出された。この故事にならって石屋神社ではこの歌を神前に祭り、船の護符とし
て安全・豊漁を祈られる。
濱岡 きみ子
