大日本バカ話

その一  こら、おっさんの巻

ぎょぎょーむが、学生時代アメリカ一人旅の時に会った変なおやじの話。
それは、旅も終盤にさしかかり、財布の中身が、あやしくなってきていたころ、
あこがれのケベック(カナダ)を後にしてからのこと。
西海岸シアトルから帰路の飛行機に乗らなければならないのだけど、もう宿泊費は出せないため、
夜は、長距離バスのなかで寝て、朝着いたまちをみてまわり、
また夜は、バス中泊、をくりかえすことで、宿泊経費節減。
 ところで、アメリカは、銭湯ないのね、だからあのとき1週間、
カナダ東海岸からシアトルまで風呂に入れなかった、臭かった、がはは。
4日目ぐらいから、バスの座席でからだを動かすたびに、
ふんわりとダウンジャケットの中から鼻のほうに出てくる空気が、
自分でも臭いと思った、がはがは。
だから、5日目、隣に座った人が、しばらくして席を変えたけど、
「そりゃそうだ」、と納得したのであったのだ。
だがしかし、それは6日目の夜のこと、
バスの車内には他にも空席があったにもかかわらず、
一見紳士風なおやじが、ぎょぎょーむのとなりに座った。
座るなり、寝始めた。それから2、3時間後、
ぎょぎょーむがねむくなり始め、眠る体制に入ろうとした時、
そのおやじが突然こちらをむいて、話し掛けてきた。
「どこからきたのだ?」
「ジャパン」
「わしは、シアトルのちょっと北、弟のところへ行くのだ」
それからだ、うだうだだ。
弟と、自分の子供のころからの話が、はじまった。
よくけんかしたとか、庭の桜の木を弟が折ったけど
正直に話したから、父は許した。
正直は、なにより大事なことだ、とか、
「それジョージ・ワシントンやないか」とつっこんでも、
意に介さず、饒舌なおっさんだった。
そも生い立ちが、うだうだ続いて、
そして話がやっと、現在の2年前にまでやってきた。
このおっさんは、なぜに見も知らぬジャパニーズボーイに生い立ちから話すのだ、
とうんざりしていたから、
「あと2年だ」とほっとするぎょぎょーむ。
「2年前の話だ、弟(キングサーモン、かになどを捕る漁師)は、
ついに、ものすごく大きなサーモンを釣上げたのだ」
このぐらいだ、と両手を広げる、おっさん。
「そんなサーモンなら、釣る人いるだろう」と言うと、
「おっと、まちがい、このバスの横幅ぐらいだ」と言う、
「そんなのも、だれかが釣上げた写真みたことある」と言うと、
「そうだった忘れてた、このバスの幅の2倍ぐらいだと、弟は言ってた」
「それは、おおきいね」
「信じられるか?」
「うーん、もしかしたら、そのぐらいのはいるのかもしれないね。」
「いやいや、思い出した、もっと大きいと弟は言ってた」
「・・・・・」
「それは、たぶん世界一の大きさだ」
それは「バスの運転手の背中から、うしろのトイレ(アメリカバスには、トイレ付き)の前あたりぐらいまでの長さがある」と言う。
「信じるか?」
そんなサーモンいるわけがない。
「うそやろ」というと、ようやく満足そうに「いや、弟が、そう言うのだ」。
そして、それから1昼夜に渡る弟と、巨大キングサーモンの死闘の話が、えんえんとつづく。
それってヘミングウエイの「老人と海」やないか、うさんくさいおっさんじゃ。
何度も弟は海に引きずり込まれそうになる。
弟の手は、皮がむけてしまった。
ふねのエンジンもオーバーヒートしそうなぐらいの引きだ。
弟は・・・・
弟は・・・・
弟は・・・・
眠いのでねたいとの申し入れは、何度も言ったけど、
「まあ聞け」と、このおっさん寝させてくれない。
白熱の、弟サーモン死闘話は、つづく。
弟は・・・・
巨大サーモンは・・・・・
弟は・・・・
ほとんど老人と海を朗読されてるような、細に入る、弟とサーモンのかけひきの話。
「そしてやっとしとめたのだ。」とおっさん。
「やつは、力尽きたのだ。」
「しかし大きすぎて船にあがらない、
しかたなく引っ張って帰る事に、
そして、港に着いたころには、さめに食われて、跡形もなかった・・・」
ぎょぎょーむ、ねむくてあいまいな相槌、
「嘘やろ」をぎょぎょーむは、連発してた、
そのたびに、まだ信じないのか?弟はこうも言ってた、と話は続く。
そのおやじの白熱した語り口はおとろえない。
「もう信じる」と言いつづけるぎょぎょーむに、
「まだ本当には、信じてないだろう」と白熱語りが続く。
もう5,6時間は、このうんざり、うだうだ話しがつづいている。
夜がしらじらと明けてきた。
もう寝させてくれ。のぎょぎょーむ。
むこうもやっと、眠くなってきたようだ「これくらいで信じられたか?」
「信じる、信じる、あんたの弟はえらい」
渡りに船、
これで寝られるか?
おやじは、じっとぎょぎょーむを見つめ満足そうな薄笑いをうかべ、
「そうか、やっと本当に、信じてくれたのか。」ため息をひとつ。
「でも、おれは、信じないけどね」(BUT I CAN NOT BELIEVE WHAT MY BROTHER SAID)
ウインクして、背を向け、さっさと寝てしまった。
こら、おっさん。



その二  大仏を持つワニの話の巻

これは、大学時代の友、国文科の井上聡君から聞いた話である。
だから、この事件は、昭和40年代か50年代に起こったことと思われる。

その当時、上野動物園では、ミシシッピーからやって来た巨大ワニが人気を集めていた。
ワニは、そのあまりの巨大さのため、檻に入れることができず、首輪をして、木にくくりつけられていた。
「ワニは、爬虫類であるから、寒い日本の冬の間は、凶暴化することもないだろう」、飼育係のおにいさんには、
そのような甘い認識があった。
アメリカから来て1ヶ月間は、ワニは、たいへんおとなしくて、なにごともなく過ぎていった。
しかーし、とある寒い冬の日、その日は、あたかも2・26事件の日と同じように東京では珍しく大雪であった。
雪がどんどん降り積もってゆく。
寒さに弱いはずのワニが、犬は喜び庭かけまわり、のように、突然元気になって、かけまわりはじめた。
そして、ついに、ワニは、上野動物園を脱走してしまった。
飼育係のおにいさんの話、
「くくりつけていた木は、頑丈だったのですが、首輪というのがいけなかった。」
「ワニに、首というのは、ないのね。というより、首の方が、頭より太いのね、だから、首輪は、するりとはずれてしまったのね。気がつかなかったのです、はい。」
ワニは、不忍池を泳いで渡り、皇居方面に向かっている。
警察がパトカーで追跡を始めた、
皇居が危ない!!
しかしワニは、靖国通りから代々木公園方面へ
ワニの道路前方、進行方向に、パトカーでバリケードをつくるが、
巨大ワニは、パトカーを踏み越えて何事もないような顔つきでどんどん行く。
ワニは246に入った。
「神奈川県警にも応援を要請しよう、警視庁だけでは手におえない。」
しかし、そもそも、警察の手におえるものでないことを、
まだこの時点で、わかるほど当時の警察は有能ではなかった。
神奈川県警も、246でバリケードを築いたが、ワニは、どんどん踏み越えてゆく。
ここにきてやっと、警視総監は、自衛隊の出動を要請した。
戦車隊が、ワニの後を追う。
ワニは逃げる。
「人家密集地である、発砲はするな」と命令が出ている。
ワニは、どんどん行く。
ワニは、藤沢経由で、江ノ電の線路をとおって、ついに鎌倉市までやってきた。
鶴岡八幡宮が危ない!!
しかしワニが、向かったのは、鎌倉大仏のところだった。
鎌倉市は東京より大雪である。
ここで、ワニ、やっと止まった。
自衛隊の戦車は、ワニに砲身を向け発砲体制をとった。
ワニと戦車隊のにらみ合いがつづく。
そこで、ハンドマイクで、鎌倉市長が呼びかけた
「ワニよ、君はもう包囲されている、おとなしく首輪をかけてもらいなさい」
鎌倉市長は、まだ首輪が有効だと思い込んでいた。
助役が、小声で、市長に指摘する。
「えー、訂正、すみやかに足輪を受けるように!!」と市長。
これを聞いて、ワニは、ぎろりと市長をにらむ。
空気が張り詰める。
やおら、ワニは、鎌倉大仏を頭上にかかげ、仁王立ちになった。
おお、戦車部隊に対して、大仏をぶつける気なのか?
張り詰めた空気の中ですべての、動きが止まる。
ただ、雪だけが、しんしんと降りつづけている。
雪が、積もっている。
ワニは大仏を持ち上げている。
ワニは、にたりと笑い、
だいぶつもったわに」と言った。




その三  芭蕉の話

この話は、「旅に出た、座付きコント作家」の投稿である。

芭蕉の貸しスキー
芭蕉が山寺で貸しスキー屋をやってた時の話です。
彼は幕府一の隠密だったので、常に、仙台藩から送り込まれる刺客に狙われていました。
そのせいで、眠りに就く時でさえ、油断はしなかったと言われています。
お客がやって来ます。
「スキーを所望したいが、見せてくれるかな?」
芭蕉が答えます。
「江戸に戻るまで、一時たりとも、スキーは見せられない。」
隙を見せない貸しスキー屋は、シーズンの終了を待たずに潰れてしまったそうです。



その四   こら、おっさん(改札編)